卒論よもやま話③ 卒業論文って何なんだろう?

2024年3月15日

いよいよ最終回です。語り尽くせたかな…?

ゴールを探して一年間
C:卒論って最初は枚数が気になるよね。何枚以上書かなきゃいけないとか、先輩は大体これぐらい書いていたとか。でも、気にしなくても意外と大丈夫なんだって思った。
A:すごい文字数書かないといけない大変なものってイメージあったけど、やったことを書いてたら、枚数増えていくよね。逆に多すぎかなーって思ったくらい。
B:私は最初、ゴールがわからないのが怖くて。
A:私もそう。
B:卒論はずっとゴールを探す感じだった。
D:ゴールなんかないでしょ?
B:この分析をしていってまとまるのかなって。
C:就職活動とか受験勉強とか課題だと「こうなったら終了」っていうのがあるけど、それ自体を自分で作るのがすごく難しかった。
B:終わっていいのかって思ったよね。考察してもここが終わりなのか、もっと頑張ったらいけるんじゃないか。書いてて浅いなぁとか。

卒論の醍醐味とは
A:私はずっと表現とか音楽が好きで、それを活かせる保育に関心があったけど、自分の知りたいことに卒論でじっくり向き合えたのはすごく良かったなって思う。保育者としての専門技術、働いてから活かせるようなことをやりたかったから。
C:私は保育に直結することじゃなかったけど、卒論のおかげでそれまで実際には見られなかった場に行けて、実態を知ることができたっていうのは良かったと思う。
D:学生だからできることだよね。
C:働いたら毎週見に行くとかできないだろうから、後輩には今しかできないこと、やりたいことをやってほしいなと思う。
B:私は保育の空間について、頭の中で考えてることを言葉にして書けたのが良かった。実習のときに、「なんでこうするのかな」とか、「子どもたちは囲まれたところが好きなんじゃないかな」って考えることがあったのに、結局あまり活かせなかった。改めて一歩引いたところから観察して、それをアウトプットして結論を出すところまでいけたのは、卒論があったからだと思う。
D:私は「食」が自分のコンプレックスでもあったから、セミバイキング給食っていう環境があることで、子どもが苦しくないっていうのもそうだし、自分自身も苦しくなくなるというか。意外とみんな「これが食べられない」「あれが嫌い」って、同じような悩みを持ってる人がいるんじゃないかな。悩みの大きさは人によるけど、こういう寛容な環境が苦しさを軽減するのかなって思えて。研究していて楽しかったし、自分自身も認められた気がした。自己満足みたいな論文かもしれないし、ほとんど読まれることはないかもしれないけど、でも、何かきっかけになることがあったらいいなって思う。
A:卒論って、こうした方がいいっていう考えはあるけど、唯一の答えがあるものでもない。自分が考えてきたことを、できる限り正当性を確認しながら報告したいから、それに向けて観察できたり、インタビューできたりするのは、卒業研究っていう枠があるからだよね。
C:でも始めるまでは、大変さとか、全然わからなかった。
D:高校生の時って、大学といえば卒業研究っていうイメージを持ってる人がまあまあいる。研究をする場所っていうところに重きを置いてくるけれども、実際には教員養成大学はそれ以外のカリキュラムもしっかりある。そういう中で頑張った先に卒論でこういうことが待ってるよ、できるよっていうのは醍醐味だと思う。
B:研究って大学院に行ったり研究者にならない限りは、卒論が人生最初で最後のものだよね。Dさんみたいに今までの人生が影響したり、私みたいに学生での学びがテーマ選びのきっかけになったりするけど、最初で最後の自分の「気になる」を突き詰められるものだから、重く考えすぎずに突き詰めていけばできあがる。
C:大変だけど楽しいし、先生もいるし、支えてもらえる。
D:その時間があることで自分が学びたいことができる。
B:でも3年生の時は、どれなら書けるんだろうっていうのは思っちゃって。書きやすそうな先輩のテーマを見たり。
D:そこなんですよ!
B:だけど、今思えば、興味あるもの選んでねって。
C:1年も続けるものだから、書きやすさ重視じゃ続かない。自分の興味と面白さで選べば、大変でもなんとか頑張れる。
A:興味のある分野とか範囲を決めて、研究につなげられるものは何かなっていうのが大事だね。
B:興味ある物を選べば、「こういうところから始めたら面白くなるんじゃない」みたいなことをくれるじゃない? そういうところからやっていけば、なんとかなるんじゃないかな。

 

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